質問にお答えします

サンクチュアリ教会世界宣教本部のティモシー・エルダーです。

恐縮ながらも、私も日本語でブログを始めることを決心しました。これまで1年ほどの間、ほとんど毎日ブログ村を訪問して皆さんのブログを数多く読ませていただきました。そして私がそこで果たす役割は無いのではないかと思ってきました。

しかし、サンクチュアリ系統ブログ専門のカテゴリーができるなどの環境変化に伴い、もしかしたら私の役割もあるかもしれないと考えるようになりました。

とりあえず、主にサンクチュアリ教会に対する質問にお答えする形で進めて行く考えです。質問をどしどし送ってください。

shitumonshimasu@gmail.com を、質問を送っていただく専用のメールアドレスとして設けました。「t」の後に「s」がありません。ご注意ください。

2代王様の裁定に関する質問

久しぶりの更新です。


王様の裁定に関する質問に対してお答えした内容を公表します。


:裁定1についてですが、お父様の相対が韓オモニではないことは明らかですが、それではお父様の相対は今後どなたかが就任されるのでしょうか?
その場合、その方は真のお母様という立場にはならないのでしょうか?
文妍雅様が新しい真の母とのことですが、お父様との関係はどうなるのでしょうか?


:お父様が決定される内容だと思われます。ふさわしい時にその内容を2代王様を通して知らせてくださるでしょう。


:裁定8ついてですが、(現在出回っている和訳)は「性交は、他人の性的臓器、膣性交、肛門、口頭、または衣類を通しても意識的に触れることに決定されます。」と訳されています。
これは他人の性器・肛門に直接あるいは服の上から手または口で意識的に触れることも性交になるということでしょうか?
すみませんが、分かりやすく説明していただけると助かります。


また、「これには、あらゆる形の同性愛者またはレズビアンの性行為、人間、動物および遺伝子組み換え生物体に対する人工知的代用品が含まれます。これらは堕落を構成します。」と訳されていますが、「遺伝子組み換え生物体」とは何を指すのでしょうか?
また、「人工知的代用品」とは何を指すのでしょうか?
すみませんが、ここの部分は難解な部分ですので、分かりやすく説明していただけると助かります。


また、「性的暴力や強姦の被害者は堕落ではありません。」と訳されていますが、被害者が堕落していないのであれば、強姦によって妊娠し子どもが生まれた場合、その子は1世になるのでしょうか?それとも2世になるのでしょうか?


:祝福結婚の範囲外で、手や口などを使って他人の性器に意識的に触ることは、たとえそれが服の上からであったとしても、性行為と断定されます。遺伝子組み換え生物という表現は将来科学の発展に備えての文句です。「人工知的代用品」は、人間の代用としてAIが備わった人形と性交することを意味します。


強姦によって生まれた子供の扱いについては裁定を出しておられません。そのようなケースがあればお知らせください。


:裁定11についてですが、「精神病や自殺を伴う事件は、聖和式を開催する許可を得るため王に報告されることがあります。」と訳されていますが、精神病や自殺で亡くなった場合、聖和式を開催する許可を米国本部に取らないといけないということでしょうか?
また、精神病や自殺を伴って亡くなった場合は日本支部やその他の教会の判断で聖和式をやってはいけないということでしょうか?


:自殺は神様からいただいた賜物である命を冒涜する行為ですので原則として聖和式は許可されません。ただし、精神病による自殺、殉教に値する自殺の場合には例外として、王様が聖和式を許可される場合もありえます。該当するケースがあれば宣教本部までお知らせください。


:裁定12についてですが、「代わりに、夫婦は養子を受けなければなりません。信仰の外からの採用は容認できますが、子供は一世です。」と訳されていますが、信仰の外からの採用は容認できるということは、一般の信仰を持たない家庭から養子をもらわないといけないということでしょうか?
信仰を持った家庭すなわち他のサンクチュアリ家庭から祝福2世を養子としてもらうことは出来ないということでしょうか?


:採用」と訳されているのは「養子」または「養子縁組」の誤訳ではないでしょうか。当然他のサンクチュアリ家庭からの養子が望ましいですが、外部からの養子縁組許可されるという意味です。


:裁定15についてですが、「子宮内で死亡した子供の名前を付けるべきです」とありますが、サンクチュアリ家庭の復帰されていない親から死産した子供(サンクチュアリ祝福家庭の主体者の兄または姉として生まれてくる予定だった)について、親が復帰されておらず、数十年前の話なので今から親に死産した子供の名前を付けてもらうことは出来ません。
その場合、サンクチュアリ家庭の主体者がその死産した子供(サンクチュアリ家庭の主体者から見て兄または姉に当たる)の名前を代わりにつけて先祖解怨祝福することは可能でしょうか?


:名前を付けることは可能ですが、先祖解怨祝福は直系8列に限られます。兄弟の解怨祝福は現在行っておりません。


天一国において武器は必要か

)銃の必要性について、わからないところがありますので、もう一度お伺いさせてください。
天一国すなわち地上天国は、それぞれ市民が主人となり、家庭、近隣、氏族等を自分たちで守る。
銃を持たない今の世界の私たちは、奴隷になっている。
そこで疑問なのですが、地上天国、すなわち神様、お父様メシヤを中心に成り立っている社会、そこには、まだ悪が存在する社会なのでしょうか、それとも自由が与えられている為、間違いを犯す事があるかもししれないからなのでしょうか。仮に間違いを犯す人が現れ、自分の家に入って来た時、その人を殺して、それは罪にならないのでしょうか。お父様の御言葉にもある、武器を鍬や鋤に変えなければならない時が来る。この御言葉と何か違うのではないかと感じます。それともこの地上の小さな範囲で始まる地上天国、そこから地球が完全な地上天国に変わるまでの期間、武器を持たなければいけないと言っておられるのでしょうか。
お答え頂けたら感謝です。


)地上天国における武器(銃)必要性についてのご質問ですね。


(正直、私個人は「その時になって判断すれば良いのではないか。その時に必要があれば持ち、なければ持たなければ、それで良いのでは」と思います。でも、多くの方がこの点を疑問に思っておられるようなので、亨進様と国進様の考えを、私が理解する範囲でまとめます。)


お二人が語る地上天国における武器(銃)の必要性は二つあります。その一つは地上天国における悪の存在に関するもので、もう一つは万物の主管に関するものです。


「地上天国における悪の存在」は、多くの方にとって不慣れな表現かもしれません。しかし、「善悪を知る木」は、神様が人間の堕落以前に創造されました。即ち、「悪の概念」と「悪を選択する自由」は堕落以前にも存在し、堕落という事件が無かったとしても、そのまま神様の創造本然の世界に存在したでしょう。


神様は、人間が自分の判断で「善」を選ぶことを願われます。そうしてこそ、人間は人格を完成するのではないでしょうか。それでは、「悪の概念」が存在しない世界、人間が悪を選ぶ可能性がない世界においては、人間が自分の判断で善を選ぶことは可能でしょうか。私は不可能だと思います。


牛だけが存在して、豚が一匹も存在しない国に住む人に「あなたは牛肉と豚肉のどちらを食べますか」と聞くようなものです。実際には一つの選択しかないので、選択できないのと同じです。


自分の判断で善を選ぶことが人格完成の条件なら、悪を選ぶ可能性が無い世界においては人格完成が不可能です。そして、悪を選ぶ可能性が存在する以上、悪を選ぶ人もいるでしょう。その場合、善を選んで人格を完成した絶対多数の人が、悪を選んだ人の行動を規制しながら、その人が善と悪を見極めることができるようにもう一度教育して、究極においては善を選べるようにする必要があるでしょう。その過程において必要な道具として銃などの武器が必要でしょう。


地上天国において銃が必要になるもう一つの理由は万物主管です。


人間は多くの猛獣と比べて、走る速度が遅く、力が弱く、爪とか牙のような自然の武器も持っていません。そのように創造された人間が、万物を主管して万物の霊長としての位置を確保する為には、神様から与えられた創造性を活用して武器を作ることが必要でしょう。


さて、質問者が引用されたお父様のみ言葉は、旧約聖書のイザヤ書2章4節とミカ書4章3節などを引用したものです。


イザヤ書)主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。


ミカ書)主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。


旧約聖書の預言者らも、お父様も「国家間の武装紛争」を語りながら鍬や鋤について述べられたと思います。地上天国は、世界中が天一国憲法を受け入れ、真の父母様の代身である国王のもとにある世界です。悪が個人、または家庭の次元で規制されていれば、国家(天一国憲法では「州」)が、互いに武器を向けあうことはないはずです。


十分なお答えになったでしょうか。

絶えず悔い改める姿勢

)今回の熊本地震に、あまりに胸が痛み、質問させていただきます。

  今回の災難に対して、「韓氏オモニの失敗に対する審判である」という風に考えることもできるとは、思うのですが、私たちサンクチュアリ食口は、私たちの不信仰として捉えるべきではないだろうかと思いました。

  何の条件もないし、何の能力もない私たちではあるけれど、神様は、私たちを霊的な支柱に立てられたからです。

  そう考えると、やはり、今回、安永教会が「お願い」した島原37000名の先祖解怨祝福との関係を考えざるを得なくなります。

  そして、何かを悔い改めなければ、また、再び、同じ災難を引き起こしてしまうのではないだろうかとも思います。

  実は、今回、4月10日懇話会での、日本食口と亨進様国進様とのやり取りを見ながら、一つ、気になったことがあります。

  それは、「お願い」です。「お願い」というのは、謙虚そうに見えますが、実は、とても傲慢な行為だと思います。

  今、この時に、神様、お父様、亨進様が、完全かつ最善の方法で導いて下さっているのに、何故、亨進様国進様に「お願い」する必要があるのでしょうか?

  亨進様は、著書「天和堂」でも、「お願い」祈祷を戒めていらっしゃいます。

  神様の王国の説教の中でも、「他の宗教はお願いするけれど、私たちはお願いしない。」と語られていたと思います。

  私たちは、もう、「お願い」をやめるべきではないでしょうか?


)貴重なご意見をありがとうございます。確かに、私達が第二代王様を通してお父様と授受作用する場合は、聖書と天聖経からリーマを引き、良心に問うなどして慎重にすべきでしょう。絶えず神様のみ前で悔い改め、審判を神様の愛と捉える姿勢も重要です。


これから多くの霊人が再臨して、天災、人災、事故などが頻繁に起こるでしょう。その時私達は、世界が神様の祝福を受けながら天一国に向かって進む道が閉ざされ、審判を受ける道を辿るようになったのは、やはり韓氏オモニの失敗によるものであることを忘れないことが大切だと思います。