絶えず悔い改める姿勢
問)今回の熊本地震に、あまりに胸が痛み、質問させていただきます。
今回の災難に対して、「韓氏オモニの失敗に対する審判である」という風に考えることもできるとは、思うのですが、私たちサンクチュアリ食口は、私たちの不信仰として捉えるべきではないだろうかと思いました。
何の条件もないし、何の能力もない私たちではあるけれど、神様は、私たちを霊的な支柱に立てられたからです。
そう考えると、やはり、今回、安永教会が「お願い」した島原37000名の先祖解怨祝福との関係を考えざるを得なくなります。
そして、何かを悔い改めなければ、また、再び、同じ災難を引き起こしてしまうのではないだろうかとも思います。
実は、今回、4月10日懇話会での、日本食口と亨進様国進様とのやり取りを見ながら、一つ、気になったことがあります。
それは、「お願い」です。「お願い」というのは、謙虚そうに見えますが、実は、とても傲慢な行為だと思います。
今、この時に、神様、お父様、亨進様が、完全かつ最善の方法で導いて下さっているのに、何故、亨進様国進様に「お願い」する必要があるのでしょうか?
亨進様は、著書「天和堂」でも、「お願い」祈祷を戒めていらっしゃいます。
神様の王国の説教の中でも、「他の宗教はお願いするけれど、私たちはお願いしない。」と語られていたと思います。
私たちは、もう、「お願い」をやめるべきではないでしょうか?
答)貴重なご意見をありがとうございます。確かに、私達が第二代王様を通してお父様と授受作用する場合は、聖書と天聖経からリーマを引き、良心に問うなどして慎重にすべきでしょう。絶えず神様のみ前で悔い改め、審判を神様の愛と捉える姿勢も重要です。
これから多くの霊人が再臨して、天災、人災、事故などが頻繁に起こるでしょう。その時私達は、世界が神様の祝福を受けながら天一国に向かって進む道が閉ざされ、審判を受ける道を辿るようになったのは、やはり韓氏オモニの失敗によるものであることを忘れないことが大切だと思います。